山本義一遺作展vol.3 
「二枚の戦争体験画と二宮の風景画—闇と光」展

2019年9月19日より、二枚の戦争体験画『噫、牡丹江よ!』を
二宮で展示いたします!





919日(木)から23日まで、
神奈川県二宮町生涯学習センター「ラディアン」にて開催される
「山本義一遺作展vol.3  二枚の戦争体験画と二宮の風景画—闇と光」展
の会場にて配布する冊子の文を掲載いたします。



2019年 平成最後の発見!


平成は幸いにも戦争のない時代でありましたが、災害の多い時代となりました。実は、2018年秋の台風被害によって、山本義一のアトリエの天井内壁が崩落しました。しかし、災い転じて福となす、ということわざのとおりになりました。
アトリエにあった百号サイズの絵を整理移動させる必要があり、山本義一の甥や姪が伊豆から来て手伝ってくれたところ、『噫、牡丹江よ!』と右上に字が書かれた『噫、牡丹江よ!』別バージョン80号の絵が発見されたのです。
 青一色の同名の『噫、牡丹江よ!』と同じく、満洲での戦争体験を描いたもので、兵隊たちの前を逃げ惑う母子像が描かれた軍隊カラーのリアルな戦争画です。未完成のエスキースのようでもあります。おそらく途中まで描き、恐怖や不安、憎しみといった生々しい感情をのりこえ、浄化し、そのうえで青の『噫、牡丹江よ!』が生まれたのではないかと推測されるのです。
 黒・赤・カーキ色といった戦争絵画に特徴的な色彩から、一転して沈静をイメージさせる青へと――。
青とカーキ色、この2枚の『噫、牡丹江よ!』を並べてみると、「表現する」という行為がもたらすおおいなる効用が透けて見えてくるようです。恐れや不安、憎しみを反転させ、鎮魂や祈りといったおもいへと昇華させる力が・・。
 それは、描き手のこころを癒し、そして絵を見る人のこころをも癒す力となるのではないでしょうか。
いつか、みなさまにこの2枚の絵をご高覧いただければ幸いです。

↓青の『噫、牡丹江よ!』
   


↓カーキ色の『噫、牡丹江よ!』  



↓右上の文字『噫、牡丹江よ!』


2017年 「海と山と空と」フェス おきなわんナイト


ラディアン 二宮町のラディアン花の丘公園で行われた沖縄フェスティバルにて、『竹富島の光と風 山本義一遺作展+沖縄の食の知恵 ぬちぐすいに学ぶ』として、ギャラリーにて山本義一の竹富島の絵画と「噫、牡丹江よ!」展を展示しました。また、ラディアン別室の会場では、漫画家の細川貂々さんと吉江眞理子のトークイベント『ぬちぐすいって何!?』を開催しました。
JTBパブリッシング刊の『ツレ元気、からだにいいゴハン計画』細川貂々著 編集協力 吉江眞理子 の出版記念イベントとして、細川一家を吉江が沖縄取材旅行にご案内したときの内容を、パワーポイントを使って解説したものです。沖縄の食の知恵 ぬちぐすいについてのトークショーは、青山ブックセンターにて行われた出版記念トークイベントの第二回目として、同じ内容で行われました。当日、書籍を展示販売できなかったので、ご紹介します。

2017年56()午後から7

2017年 山本義一遺作展と細川貂々さんのトークイベント


二宮町で開催される沖縄フェスティバルの同時開催企画として、『竹富島の光と風 山本義一遺作展』、漫画家細川貂々さんと吉江真理子のトークイベントが開催されました。


2016年 山本義一遺作展&山本義一の仲間たち展

神奈川県二宮町のラディアン展示に続き、二宮町ふたみ記念館にて、山本義一の絵画教室のお弟子さんである奈良淑子さんと渡辺セツ子さんの作品とともに、山本義一遺作展&仲間たち展が開催されました。


山本義一遺作展 vol.2
「戦争体験画と湘南の風景画――闇と光」展


2回目となる山本義一遺作展が、神奈川県二宮町のラディアン(二宮町生涯学習センター)にて開催されました。

山本義一遺作展「闇と光」+未来に伝えたい風景展

山本義一遺作展とともに、二宮の風景を紹介する展示が開催されました。


2015年12月25日より、二宮町町民センターにて山本義一の絵画2点が飾られております。

二宮町に山本義一の『東大果樹園跡地の宿舎』、『東大果樹園跡地、クロガネモチのある正門』の2点の絵を寄贈させていただきました。


二宮町民センター2階の廊下左側です。いつでもご覧いただけます。

ぜひ、ご高覧くださいませ。


2015年12月 舞鶴引揚記念館に行ってきました。

舞鶴市にある引揚記念館に見学に行き、外地から引き揚げてきた方々の労苦に思いを馳せる機会となりました。『噫、牡丹江よ!』に描かれた世界は、まさに引揚者の方々の思いを代弁しているものであり、鎮魂と魂の浄化のための祈りの絵だとわかりました。

舞鶴引揚祈念館外観


↓ユネスコ世界記憶遺産登録されました。


解説墓ボランティアの岩田鶴松さん(写真中央)は、
質問に丁寧に答えてくださり、ご親切に沖縄の引揚家族の情報をお送りくださいました。のちに、ご家族からご逝去のお知らせをいただきました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


↓引揚船の模型があり、〇〇丸という船が視覚的にわかる

2015山本義一遺作展Vol.2『戦争体験画と湘南の風景画――闇と光』展

戦後70年の2015年 秋、神奈川県二宮町のラディアン(生涯学習センター)にて、第1回目の遺作展が開催されました。


多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。

2015山本義一遺作展 ラディアン展示に寄せて 
会場で配布した冊子本文を転載いたします。


昨年2014年11月、95歳で永眠した山本義一は、1988年にそれまで住んでいた保谷市(現西東京市)より、神奈川県中郡二宮町に移り住みました。会社退職後の68歳からの移住です。娘ふたりも嫁ぎ、老後はふるさと伊豆に似た湘南の地で、大好きな絵を描いて暮らそうと思ったのでしょう。
二宮に移住したときに作成した転居ハガキには「湘南の光と風に魅かれて」という一文があります。移住後は、毎年ときには年2回、茅ケ崎やここラディアンで油彩画の展示をさせていただいておりましたが、1995年の個展のお知らせハガキには「湘南の清澄・芳醇な風景に魅せられて」というタイトルがつけられております。遺された膨大な量の油絵は風景画が多く、いかに義一が二宮の海と山、そして光に魅力を感じていたかがわかります。
自宅の2階ベランダからは富士山や海が見え、季節を間近に感じることができます。近くの吾妻山にのぼって眺望を堪能し、カンバスを広げ、お仲間とあちこちに絵を描きに行き、10代から始めた油絵三昧の日々を送りました。
移住して27年、95歳の長寿を全うできたのも、まさに温暖で環境のすばらしい「長寿の町」二宮のおかげではないかと思っております。
義一は、20歳から29歳まで9年間、陸軍兵士として満州に滞在しました。ノモンハン事件にも参加し、悲惨な戦闘を体験したことでしょう。敗戦後はシベリア抑留を免れ、ソ連兵から逃延びて、同郷の方の家などにかくまってもらったこともあったそうです。現地除隊し、法政大学夜間部に入学、日本企業「生活必需品株式会社」の社員にもなり、写真入りの身分証ものこっております。
ようやく9年後に満洲から引揚船に乗って博多港に到着し、実家のある伊豆にたどりついたときの所持品はリュック一つ、所持金は千円でした。
この間の戦争体験については、もっと聞いておけばよかったと思います。
苛烈な戦いをくぐり抜けてきた戦争体験者がそうであるように、あまり多くを話しませんでした。しかし、2003年のイラク戦の頃、それまでの絵とは画風も全く異なる120号の大きな絵を描きだしました。テレビ報道を見て、なにか甦るものがあったのかもしれません。
ベールをかぶったイラクの女たちを描いたのかと尋ねると「牡丹江で引揚船を待つ人々を描いた」とだけ語りました。のちに、『噫!牡丹江よ!』と白い文字がかかれてありました。誤解されないように、とのことだったかもしれません。
 これが今回展示させていただく、生涯たった1枚だけの戦争体験画です。
この絵はほかの絵とはまったく画風も異なる独特のものです。
青の色彩の中に、引揚船を待つ人々の行列がぼうっと浮かび上がっています。
左上には三日月。船に乗り込むために徹夜で並ぶ行列から外れた母子が、7、8組。もしかしたらもっといるかもしれません。絵を見るたびに見えてくるもの、浮かび上がってくるものがあるように思います(のちに展示を重ねる度に絵を見た方がご指摘くださり、16組の母子が描かれていると判明)。
中央の女は赤子に乳を与えているのですが、何も食べていない母の乳は出ず、赤ん坊はすでに息絶えているのかもしれません。行列に加わらなければ船に乗りこめない。しかし、赤ん坊が泣き、疲れ切った幼子はぐずり出す。子どもを連れた母親は、行列から離れてうずくまり、道端で乳を与え、あやし、子どもたちを守るように座りこんでいるしかありませんでした・・・。
戦争によっていちばん被害をこうむるのは、体力のない者たちです。抵抗力のない、弱き者たちの命がまず奪われます。子どもを中国の方に預けて離れ離れになり帰国せざるをえない親もいたことでしょう。
過酷な戦闘を経験した義一は、しかし戦う兵士としての視点ではなく、庶民としての視点で戦争を描こうとしました。戦争というものの実相を、母子の姿を描くことで表現しようとしたのではないでしょうか。
男の視点から、女と子どもへの、まなざしの反転――。
男たちが悲惨な戦闘を潜り抜けたのちに気が付くと、女と子どもたちは生きのびるための生死を分かつ行列からもとりのこされてしまう・・・。
そんな戦争がひきおこす、戦争の二次被害、そしてこころへの深い傷――。
義一は癒しとしての風景画、いわば『光』を描くことで、こころを癒し、ようやく戦争画という名の『闇』に向き合うことができたのかもしれません。
しかし、闇に光をあてれば、それは闇ではありませんでした。
おそらく、母子の姿の向こうにみえたのは、愛という希望の光ではないでしょうか。母に守られている幼子の顔は、おだやかな童子のお地蔵さんのようですらあります。
そして、戦争で失われた多くのいのちへの鎮魂の祈りが舞い降りてくる・・・。
戦後70年の節目の年に、義一の一周忌を前に、この二宮で湘南の風景画と戦争体験画を展示させていただけますことに、こころより感謝いたしております。 
   

山本義一遺族一同 2015年10月6日

2015 山本義一遺作展『戦争体験画と風景画――闇と光』が
沖縄県那覇市文化てんぶす館にて開催されます

沖縄県那覇市新聞社琉球新報社に続いて、那覇市の国際通りに面した那覇市文化てんぶす館ギャラリーにて、急きょ、延長展示となりました。

2015年 9月26日(土曜日)12時〜22時まで
 ___9月27日(日曜日)10時〜19時まで

てんぷす館展示風景

 


沖縄第一ホテルの島袋ママが駆けつけてくれました。

2015 山本義一遺作展『戦争体験画と風景画――闇と光』展が
沖縄県那覇市の新聞社琉球新報天久本社ギャラリーにて、開催されました。


琉球新報に紹介記事が掲載されました。


⭐︎会場で配布した冊子の文を掲載いたします。

琉球新報社ギャラリー展示に寄せて    2015年9月20日 吉江真理子
 2005年に上梓した『島唄の奇跡 白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病』(講談社)は、戦後、石垣島で生まれた音楽バンド白百合クラブ員の恋の謎を追ううちに、ハンセン病について取材することになったノンフィクションである。
このときに退所者の方と愛楽園を訪ね、入所者の方々との時空をさかのぼるような再会に立会い、豊かな時間をともに過ごしたことは、いまもわたしの宝物だ。
その愛楽園にて、昨年95歳で他界した父・山本義一の油彩画展をさせていただき、続いて琉球新報社のギャラリーでも展示がかなうことは、本当にありがたいことである。
義一は20歳から29歳まで9年間、陸軍兵士(現地除隊)として満州に滞在した。
太平洋戦争を体験した白百合クラブとまさしく同世代である。ノモンハン事件にも参加し、おそらく悲惨な戦闘を体験した義一は、ふるさと伊豆に似た湘南の地に移り住み、自らのこころを浄化するかのように「癒し」としての風景画を多く遺している。
1996年に今回の展示作品・竹富島の桃源郷にも似た風景を仕上げ、2003年のイラク戦の頃に描いたのが、生涯たった一枚の戦争体験画『噫、牡丹江よ!』だ。
この絵はほかの絵とは、画風も異なる独特の絵だ。青の色彩の中に、引揚船を待つ人々の行列がぼうっと浮かび上がる。左上には三日月。船に乗り込むために徹夜で並ぶ行列から外れた母子が、7、8組。もしかしたらもっといるかもしれない。(見るたびに見えてくるもの、浮かび上がってくるものがあるように思う)中央の女は赤子に乳を与えているが、何も食べていない母の乳は出ず、赤ん坊はすでに息絶えているのかもしれない。行列に加わらなければ船に乗りこめない。しかし、赤子が泣き、疲れ切った幼子はぐずり出す。子どもを連れた母親は、行列から離れてうずくまり、道端で乳を与え、あやし、子どもたちを守るように座りこんでいるしかなかった…。
戦争によっていちばん被害をこうむるのは、体力のない者たちである。抵抗力のない、弱き者たちのいのちがまず奪われる。
ハンセン病者が富国強兵策をおしすすめる国によって、強制隔離をされていく歴史とも、それは重なってくる。
苛烈な戦闘を経験した義一は、戦う兵士としての視点ではなく、庶民としての視点で戦争を描こうとした。戦争というものの実相を、母子の姿を描くことで表現しようとしたのではないだろうか。男の視点から、女と子どもへの、まなざしの反転――。
男たちが悲惨な戦闘を潜り抜けた後に気がつくと、女と子どもたちは生きのびるための生死を分かつ行列からも、とりのこされてしまう…。そんな戦争がひきおこす、いのちの差別の構造や『人生被害』――。
義一は癒しとしての風景画、いわば『光』を経て、ようやく戦争画という名の『闇』に向きあうことができた。しかし、闇に光をあてれば、それは闇ではなかった――。
 おそらく母子の姿の向こうに見えたのは、愛という希望の光ではないだろうか。
今年は戦後70年の節目の年。『島唄の奇跡』、山本義一展の紹介をしてくださった琉球新報社のギャラリーで、戦争体験画と竹富島の風景画を展示させていただけることに、こころより感謝いたしております。
      

2015 山本義一油彩画展 『戦争画と風景画―闇と光』が、
グランドオープンしたばかりの沖縄県愛楽園 交流会館にて開催されました。


戦後70年の夏、満洲での戦争体験画『噫、牡丹江よ!』百二十号と、竹富島の風景画『赤瓦屋根の集落と星砂の道』シリーズ百号1点、ほか10点を展示させていただきます。
 昨年95歳で他界した山本義一は20歳から29歳まで日本陸軍兵として(終戦時に現地除隊)満州に滞在しました。牡丹江で引き揚げ船を待つ人々の群れを描いた『噫、牡丹江よ!』は生涯たった1点の戦争画です。
 移り住んだ湘南の海の風景画や、竹富島の風景画を描くことによって、戦争体験を自分なりに浄化することができ、戦争から58年たってようやく百二十号の作品に表現できたのではないか。いわば、癒しとしての風景画があってこそ、生まれた戦争体験画ではないでしょうか。
 戦争画という闇と、癒しとしての風景画の光。このふたつの対比を、戦後70年のこの夏、展示させていただく機会に恵まれましたことを深く感謝しております。
 多くの方々にご高覧いただければ幸いです。

愛楽園交流会館で配布した冊子の文を掲載いたします。


愛楽園 交流会館展示に寄せて
ノンフィクションライター吉江真理子

 2005年に上梓した『島唄の奇跡 白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病』(講談社)は、戦後、石垣島で生まれた音楽バンド白百合クラブのメンバーの恋の謎を追っていくうちに、はからずもハンセン病について取材することになったノンフィクションである。
このときに退所者の方と沖縄愛楽園を訪ね、入所者の方々と知り合い、時空をさかのぼるような再会に立会い、豊かな時間をともに過ごしたことはいまもわたしの宝物だ。
彼らのなかには物故者となった方もおり、いまさらながら、あのときのこころあたたまる出会いを懐かしく思い出している。
その愛楽園で、昨年2014年に95歳で他界した父・山本義一の油絵の展示をさせていただけることは、ほんとうにありがたいことである。
山本義一は、20歳から29歳まで陸軍兵士(現地除隊)として満州に滞在した。太平洋戦争を体験した白百合クラブのメンバーとまさしく同世代である。ノモンハン事件にも参加し、おそらく悲惨な戦闘を体験した義一は、故郷伊豆に似た湘南に移り住み、みずからのこころを浄化するかのように多くの「癒し」としての風景画を遺している。 
1996年、今回展示させていただく竹富島の桃源郷にも似た風景を描いたのち、2003年のイラク戦のころに描いたのが、生涯たった1枚の戦争体験画『ああ、牡丹江よ!』である。この絵はほかの絵とは画風もまったく異なる独特の絵だ。
青の色彩の中に、引揚船を待つ人々の行列がぼうっと浮かび上がる。
左上には三日月。船に乗り込むために徹夜で並ぶ群れから外れた母子たちが、七組。中央の女は赤子に乳を与えているが、何も食べていない母の乳は出ず、赤ん坊はすでに息絶えているのかもしれない。行列に加わらなければ引揚船に乗りこめない。しかし、赤ん坊が飢えて泣き、疲れた幼子はぐずり、二人も三人も子どもを連れた母親は、行列から離れてうずくまり、道端で乳を与え、あやし、とほうにくれるしかなかった・・・。
戦争によっていちばん被害をこうむるのは、体力のない者たちである。抵抗力のない、弱き者たちの命がまず奪われる。苛烈な戦闘を経験した義一は、戦う兵士としての視点ではなく、庶民としての視点で戦争を描こうとした。戦争というものの実相を、庶民の、とりわけ母子の姿を描くことで表現しようとしたのではないだろうか。
男たちが悲惨な戦闘を潜り抜けたのちに気が付くと、女と子どもたちは生きのびるための生死を分かつ行列からもとりのこされてしまう・・・。
そんな戦争がもたらすいのちの差別の構造や『人生被害』――。
義一は癒しとしての風景画、いわば『光』を経て、ようやく戦争画という名の『闇』に向き合うことができたのかもしれない。しかし、闇に光をあてればそれは闇ではなかった。
おそらく、母子の姿の向こうにみえたのは、愛という希望の光ではないだろうか。
戦後70年の節目に、ご縁のある愛楽園で戦争体験画と竹富島の風景画を展示させていただけることに、こころより感謝いたしております。         2015年8月19日

おかげさまで、戦後70年のこの夏、沖縄県名護市 国立療養所 沖縄愛楽園『交流会館』(2015年グランドオープン)にて、山本義一絵画展の開催が決まりました。

山本義一油彩画展 『戦争画と風景画―闇と光』


 戦後70年の夏、満洲での戦争体験画『噫、牡丹江よ!』百二十号と、竹富島の風景画『赤瓦屋根の集落と星砂の道』シリーズ百号1点、ほか10点を展示させていただきます。
 昨年95歳で他界した山本義一は20歳から29歳まで日本陸軍兵として(終戦時に現地除隊)満州に滞在しました。牡丹江で引き揚げ船を待つ人々の群れを描いた『噫、牡丹江よ!』は生涯たった1点の戦争画です。
 移り住んだ湘南の海の風景画や、竹富島の風景画を描くことによって、戦争体験を自分なりに浄化することができ、戦争から58年たってようやく百二十号の作品に表現できたのではないか。いわば、癒しとしての風景画があってこそ、生まれた戦争体験画ではないでしょうか。
 戦争画という闇と、癒しとしての風景画の光。このふたつの対比を、戦後70年のこの夏、展示させていただく機会に恵まれましたことを深く感謝しております。
 多くの方々にご高覧いただければ幸いです。

●展示会場  「沖縄愛楽園 交流会館」

         沖縄県名護市済井出1192

●展示期間  2015年8月20日〜9月20日

●開館時間 10時~17時(月曜日・祝日休館)

●入館料 無料

TEL 0980-52-8115 愛楽園自治会


竹富島ゆがふ館展示によせて     

2015年4月29日より竹富島ゆがふ館での展示がはじまりました。

 1988年から雑誌の取材のために八重山諸島に通い、とりわけ竹富島に魅せられてきた。
亜熱帯の島のうつくしい町並みと色とりどりの花々、星砂の道。
光あふれる島は、その内側に植物がおいしげる鬱蒼たる杜を内包している。
杜のなかの聖域 御嶽は、島人のこころのよりどころであり、
小さないのちを育むゆりかごでもある。
光あふれる外と内なる闇。
 このふたつの世界が、島の奥行きをより深いものにしているからこそ、竹富島に魅かれるのだと思う。


写真のキャプションを入力します。 平成8年1月に、仕事で八重山に来ていたわたしは、父・山本義一を竹富島に誘った。
 義一は民宿に3泊する間に、自転車で島をまわって精力的に油絵を描いた。今回展示させていただくのは、このときに描いた11枚のうちの10枚である。
 10代から油絵を描き始めた義一は、生涯アマチュア画家であった。
 示現会・光風会・新槐樹社に所属し、昭和62年には銀座の『ギャラリー ギンゴ』にて第1回個展を開催。昭和62年に神奈川県二宮町に移住してからは、毎年、地元二宮や茅ヶ崎で個展を開いてきた。

 昨年2014年、11月に95歳で義一が永眠し、多くの油絵が遺された。
 なかでも満州での戦争体験を描いた百号の『噫、牡丹江よ!』は、竹富島の風景や地元湘南の風景を描いた絵画とは、画風も趣も異なった独特の絵である。
 竹富島滞在後の2003年、イラク戦の頃、戦争から58年たってようやく義一は自らの戦争体験を絵にしたのであった。それは、戦地としての沖縄ではない、桃源郷のような竹富島の風景に触れて、ようやく心の底にしまいこんでいたものを昇華させ、絵に描くことで浄化することができたからではないかと思う。


写真のキャプションを入力します。 竹富島という光を描くことで、義一は心の闇に光をあてることができた。
絵を描くことで、闇は闇ではなくなった。
 闇が光に反転する瞬間――。
 絵画や音楽などのアートや、美しい風景がもたらす力――。
 その力を、多くの方々にも感じていただければ、幸いである。
 たくさんの方から展示のための額縁募金にご協力をいただき、竹富島での展示が実現しました。
 お世話になった方々に、そして島の神々に深く感謝いたします。

                               2015年4月29日

終了しました!
額縁募金のお願い

山本義一の絵画展のための額縁募金へのご協力をお願いいたします。

 おかげさまで沖縄県八重山郡竹富島の「竹富島ゆがふ館」にて、2015年4月29日のゴールデンウィークから1ヶ月間、山本義一の油絵『竹富島の赤瓦屋根の集落と星砂の道』シリーズの展示が決まりました。ありがとうございます。お話が決まったのは2月21日。昨日2月27日は義一の誕生日、生きていれば96歳になります。「竹富島ゆがふ館」での絵画展開催まで約2か月しかありません。
 実はまだ額縁の用意ができていないものもあります。そこで、みなさまのご寄付をいただき、すべての絵を額装して、竹富島へ送り出すことができましたら大変にありがたく、あつかましくもネット上にてお願いすることにいたしました。 
 100号の大きな作品が1点あります。ゆがふ館のスタッフの阿佐井拓さんは、「やはり大きい絵があるとインパクトがありますね」とのこと。なんとか大きな絵も含めて展示できればうれしく存じます。

ー 展 示 会 場 ー


沖縄県八重山郡竹富町字竹富
「竹富島ゆがふ館」 ギャラリー
運営 特定非営利法人 たきどぅん
期間   4月29日から1ヶ月
開館時間 8時~17時
入館料  無料
℡0980-85-2488

 1口千円で山本義一の絵はがき『竹富島の風景』シリーズから6枚セットを、2口以上で11枚セットをお送りいたします。ご寄付によって額装できました絵画は、ホームページとブログにてご紹介いたしますので、ご覧くだされば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。


額縁募金の振込先
ゆうちょ銀行
記号 10040  番号 32612361 ヨシエマリコ

額縁募金終了のお知らせ

おかげさまで額縁募金、2015年3月31日をもちまして終了させていただきます。

 たくさんのご寄付を多くの方々から賜りまして、誠にありがとうございました。ほんとうにありがたく、心より篤く御礼申し上げます。
 今回のご寄付ならびに額のご提供によって、額装できました竹富島の絵は写真にてご覧くださいませ。百号の絵の額装もただいま準備中です。

 また、一周忌の頃には地元湘南二宮の『ラディアン』にて、山本義一遺作展を開催する予定でおります。このときに二宮周辺を描いた百号の風景画や戦争体験画『噫、牡丹江よ!』を展示させていただければと思います。戦後70年の今年にぜひ実現させたいものです。
 その折にはまたホームページのインフォメーションにてご紹介いたしますので、ご高覧いただければ幸いです。
 ブログにても額装および展示の様子などご紹介するつもりでおります。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

吉江真理子 拝


竹富島の集落の道には星砂が敷かれ、

琉球石灰岩の石垣の道端には花々が咲き、

家々の庭には芭蕉や月桃などが植えられている。

桃源郷のような島宇宙・・。

山本義一遺作展vol.3 
「二枚の戦争体験画と二宮の風景画—闇と光」

青の『噫、牡丹江よ!』 山本義一 画


カーキ色の『噫、牡丹江よ!』
 山本義一 画


『ガラスのうさぎ像のある二宮駅南口風景』
 山本義一 画

平和祈念展示資料館の様子




















































80号の右上にあった
「噫、牡丹江よ!」の文字





噫、牡丹江よ」のためのラフスケッチと思われる絵が1点、
母子のスケッチがありました。




ツレ元気 からだにいいゴハン計画』
JTBパブリッシング刊




ラディアンでのトークイベント

青山ブックセンターでのトークイベント

山本義一遺作展&
山本義一と仲間たち展 2016年

画像をクリックして下さい

ふたみ記念館展示風景





奈良淑子さんの絵(左)と山本義一の絵(左壁)




渡辺セツ子さんの絵(右)と山本義一の『噫、牡丹江よ!』

山本義一遺作展 vol.2
「戦争体験画と湘南の風景画-闇と光」展
のお知らせ

画像をクリックして下さい

展示会場風景










展示準備風景 二宮弓道場の絵を入り口に飾ると、矢印のような導入効果がありました。


二宮の風景画を一挙展示しました。いまは変わってしまった風景もあり、地元の風景が描かれた絵は新鮮だったようで、人気がありました。絵に描かれた場所をみつけて盛りあがるお客さまたち。




山本義一のお弟子さんの渡辺セツ子さんとそのお友達たちとの記念写真。


山本義一の絵画教室にいらしていたお弟子さんたちと『噫、牡丹江よ!』の前で記念撮影。二宮の風景だけでなく、丹沢、池田美術館あたりなどにも足を延ばし、戸外で絵を描く機会も多かったそうです。

山本義一遺作展「闇と光」+
未来に伝えたい風景展
のお知らせ




*2016年10月8日の写生会は、雨天のため中止となりました。
ふたみ記念館展示ギャラリーにて、『山本義一遺作と未来に伝えたい風景』の展示が開催されました。

2015年12月25日より、
二宮町町民センターにて山本義一
の絵画2点が飾られております。




展示会場風景


120号の『噫、牡丹江よ!』は2003年のイラク戦争のころに描かれたものです。
テレビでみたイラク戦の映像から、胸の奥に沈殿させていた満洲での戦争体験を思い起こし、それを昇華させて描いたのでしょう。引揚船を待つ人々の群れは、よくみると、中央には赤子に乳を与える母親と子どもたち、そして周囲には16組もの母子たちが描かれていることが、展示を重ねるごとにわかってきました。三日月の浮かぶ夜空、一面のブルーの色彩のなかに母子たちがぼうっと浮かび上がる、なかなかない構図の戦争体験画です。


100号の自画像は廊下に展示しました。

琉球新報社ギャラリーでの
絵画展のお知らせ




琉球新報天久本社 
玄関とエントランス



展示風景



沖縄県愛楽園 交流会館

展示風景







八重山出身の方が手伝ってくれました。愛楽園記念会館での展示準備作業中


愛楽園の前の海


2015429日より竹富島ゆがふ館
での展示がはじまりました。


(写真撮影 大森一也)

★2015年4月29日から2か月間竹富島ゆがふ館ギャラリーにて展示された『竹富島の赤瓦屋根の集落と星砂の道』シリーズの展示は、石垣島の出版社『南山舎』発行の月刊『やいま』6月号にて紹介されました。写真は百号の仲筋集落を描いた絵、ほかの6号と8号の作品もすべて竹富島の風景画です。平成8年1月に3日間島に滞在して描いた絵は、竹富島の光と影、風を感じさせるもの。おそらく戦争のイメージのあるオキナワで、桃源郷のような島の風景に心を癒されたことでしょう。


『噫、牡丹江よ!』

★『噫、牡丹江よ!』2003年のイラク戦のころに描いたもの。終戦後引揚船を待つ人々の群れを描いた作品。三日月の浮かぶ夜空、夜明けを待って行列する人の群れのなかには赤子に乳を与える母親の姿。飢えた母の乳は出ず赤子はもう息絶えている。母子の姿は4組ともうずくまり、男たちは前傾姿勢で前に進もうとしている。一面青の色彩のなかに、長くこころに沈殿していた戦争体験が描かれています。


2015417日 多摩美術大学での特別講義

芸術人類学研究所長鶴岡真弓さんのゼミ学生たちに、山本義一の戦争体験画と竹富島の風景画についてお話させていただきました。




この講義の後、参加学生たちからの質問に答えるべく手紙を記しました。
ブログの2015611日『学生たちへの手紙 その1』から619日の『学生たちへの手紙 その9』をご参照ください。

★ 2月20日、竹富島の風景のなかに
 実際の油絵を置いて撮影

2月23日、昔からの友人の鶴岡真弓さん《多摩美術大学芸術人類学研究所所長》と「竹富島ゆがふ館」を訪ね、ギャラリーの壁に山本義一の絵を掲げてみました。このあとゆがふ館での展示が決まりました。




223日、鶴岡さんと竹富島有志の方の懇親会が「まちなみ館」にて催されました。鶴岡ファンだという喜宝院蒐集館館長の上勢頭芳徳さんの企画でした。
芳徳さんのご逝去は誠に残念です。こころよりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。合掌




喜宝院蒐集館にて、案内してくれた芳徳さん。


ゆがふ館入口

館内では島の自然、織物や工芸、
行事や祭祀などを知ることができる。


スタッフの阿佐伊拓さんと展示準備作業中




石垣島の出版社南山舎の月刊誌『やいま』6月号にてゆがふ館での展示が紹介されました。撮影と文は大森一也さんです。


2015年4月29日から2か月間、竹富島ゆがふ館ギャラリーにて展示された『竹富島の赤瓦屋根の集落と星砂の道』シリーズは、百号の仲筋集落を描いた絵のほか6号、8号の竹富島の風景画です。平成8年1月に三泊四日の竹富島滞在のあいだに描いた絵は、竹富島の光と風、光と影を感じさせるもの。戦地だった沖縄へ旅することへのためらいもあったはずですが、桃源郷のような島の風景に出合い、こころを癒され、自分の心の底に沈殿していた戦争体験と向き合い、それを表現するきっかけを得たのではないでしょうか。














★ 2014年11月16日竹富島種子取祭ユークイ明けの早朝、父の遺影と絵はがきをもち各家々をお礼の気持ちを秘めてまわる私の姿を写真家・大塚勝久氏が撮影してくれました。